「 実りなき譲歩をやめる時 」
『週刊新潮』 2002年3月28日号
日本ルネッサンス 第12回
3月12日に東京地裁で開かれた、よど号犯人の妻、赤木恵美子被告の公判で、同じくよど号犯人の元妻の八尾恵氏が、日本人拉致工作にかかわっていたことを証言した。有本恵子さんが19年前に語学留学先のロンドンから姿を消したのは自分の拉致工作の結果だというのだ。
八尾氏はまた、拉致はよど号のリーダー故・田宮高麿の指示によること、拉致には北朝鮮の外交官キム・ユーチョルが工作に関わっていたと証言した。日本人拉致事件はまさに北朝鮮政府の犯行であることが、明らかにされたのだ。
八尾氏の衝撃的な、しかし、長年専門家らが指摘してきた北朝鮮政府ぐるみの拉致工作が事実だったという証言がなされた同じ日、柳沢伯夫金融担当大臣は在日朝鮮人系信組に公的資金を投入すると発表した。総額は5000億円を超す見込みだ。
「仮名(借名)口座は本人確認したうえで、預金保険法に基づいて措置する」と柳沢氏は述べたが、この措置は日本人を拉致した国家に日本人の税金を贈与するに等しい。
朝銀に投入した公的資金は、すでに約6000億円にのぼる。資金投入のプロセスには常に訝られる暗い影がつきまとっている。資金投入の表向きの根拠は、柳沢氏が口にした預金保険法である。だが最終的に1兆円を超える日本国民の税金の投入は、朝銀が国内の他の信用組合とは全く異質の、実態として北朝鮮政府御用達の金融機関であることを念頭に置いて考えなければならない。
朝銀への公的資金投入は、まぎれもなく日本の北朝鮮外交の一環であり、国内政策ではない。預金保険法という一片の法律文言を隠れ蓑にし、日本人拉致という深刻な問題と切り離して考えてはならない。
日本の対北朝鮮政策のディテールには、これが国家かと疑わせるものがある。
長年、北朝鮮は日本社会党を日朝間のパイプとしてきた。だが、第十八富士山丸の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の帰国実現の交渉からも明らかになったのは、北朝鮮側が、自民党に働きかけない限り日本から資金や物を入手するのは難しいという現状認識に至ったことだ。
社会党から自民党へと、北朝鮮は軸足を移した。自民党側のパイプ役として度々名前があがったのが、野中広務氏や加藤紘一氏だった。このような状況の中で、やがて村山富市政権が誕生した。支えたのが、野中氏ら経世会や森派の人々だった。
95年、村山政権は50万トンのコメを北朝鮮に援助した。外相は河野洋平氏。日本人妻の帰国問題や拉致問題を話し合うために、日朝交渉が必要で交渉再開を促すためのコメ提供というのが表向きの理由だ。
翌96年には国連を通して600万ドルを贈った。
97年には少数の日本人妻の帰国が実現したが、それさえ7万トンのコメを贈ってようやく可能になった。そしてこの同じ年の5月、大阪朝銀が全国の朝銀に先がけて破綻した。
翌98年、破綻した大阪朝銀の受け皿となった近畿朝銀に預金保険機構は3100億円の公的資金を投入した。この資金投入の決定のプロセスは極めて不透明だった。なぜ、こんな説明のつかないような資金投入がありうるのか。当時の状況を取材する中で、関係者がほぼ例外なく、関与した人物として名前をあげたのが野中広務氏だった。私は野中氏に直接この点について尋ねた。氏は近畿朝銀についての関与を全面否定したが、朝鮮総聯の関係者さえ野中氏が関与したと述べる。疑問は残ったままだ。
日朝関係と人道的支援
2000年3月に日本政府は再び北朝鮮へのコメ支援に踏みきった。10万トンである。外相は再び河野洋平氏、自民党幹事長は野中氏である。
同年6月、ピョンヤンで金大中氏と金正日氏の南北首脳会談が行われ、日本政府は日朝交渉に弾みがつくことを期待した。8月、10月と交渉会議が行われ、日本政府はまたまたコメ50万トンを贈った。外相河野氏、幹事長野中氏である。
当時、横田めぐみさんの御両親も有本恵子さんの御両親も、こうした動きに必死で抵抗した。外務省と自民党本部の前に坐り込み決行して拉致問題が解決されない限り、コメ支援は慎重にしてほしい、北朝鮮への人道的配慮というが、拉致された日本国民にも人道的配慮を示してほしいと訴えた。
2000年の春に河野外相が横田さんら御家族に会ったときの様子は現代コリア研究所の佐藤勝巳氏の『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(草思社)に詳しい。それによると河野外相は拉致問題解決のために、「まずこちらが誠意を示し、相手の誠意を期待するためにはコメ支援が必要」と答えたそうだ。
だが、本当に、コメ支援は拉致問題解決のためか。国民救出のためか。安倍晋三官房副長官が驚くべきことを語った。
「河野外相時代、外務省の高官2人が『10人の拉致で日朝交渉が妨げられてはならない』と言ったのです。交渉は理性的にやるべしとの考えだとは思いますが、私はそれはないだろうと言って、議論したのです」
安倍氏の指摘のように、外務省高官の中には、拉致問題に言及するのを徹頭徹尾いやがる人々がいる。あのヒゲの槙田邦彦氏、阿南惟茂氏らチャイナスクールの人々がその中心にいる。政治家も同様である。
こうして日本はまたもや50万トンのコメを送ることを決めたが、それから程なくして何がおきたか。先に3100億円を投入した近畿朝銀が、2年8カ月で二次破綻したのだ。
翌2001年11月26日、政府は、新たに破綻した全国の朝銀に2898億円の投入を決めた。先の3100億円とで約6000億円だ。
11月末には北京で非公式の日朝実務者会議が開かれ、北朝鮮側がコメ支援を要請、日本側が断ったことを北京発共同が伝えた。間もなくして12月17日に北朝鮮は日本人行方不明者の調査を打ち切ったと発表。5日後の12月22日、工作船が奄美大島沖の排他的経済水域で日本の海上保安庁の警備艇に追われ、ミサイルを発射して海底に沈んだ。
そして今年。先述のように3月12日に八尾氏が恵子さんの拉致を法廷で証言した。同じ日、閣議後の記者会見で柳沢金融担当大臣が新たに朝銀に5000億円を超える公的資金の投入を決めたと発表した。
納得できないのは拉致被害者の御家族だけではない。北朝鮮への譲歩は恐らくなにももたらさない。
だが資金もコメも表向き“拉致問題解決のため”として不毛の譲歩を重ねる日本。北朝鮮への融和策を訴える外務官僚と政治家たちの目的が、拉致問題よりも日朝関係正常化をゴールとする日朝交渉の進展なのは明らかだ。被害国民を置き去りにしてなんのための国交正常化か。国民への背信に他ならないのではないか。
ただ、ひとつの希望は「拉致問題の解決を最優先する」と言明した小泉首相の言葉である。担当に安倍晋三氏を据えた。この流れの中に、従来の政策への決別の気持がみてとれることだ。小泉首相よ、勇気を持って流れを変えよ。政府も外交も国民のためにあることを行動で示す時だ。